ウランガラス

ウランガラスの歴史

  • 0079

    ローマ時代の皇帝離宮跡にある、壁にはめ込まれたモザイクガラス(高さ約43cm幅約50cm)にウランガラスが使用される。
    モザイクガラスの絵は、コバルトブルーの空を背景に、卵型の葉を持つ2本の植物の間に生えている1本の葦の上を、尾を広げ羽を伸ばして飛んでいる白い鳩が描かれている。この植物部分の半透明の緑色のガラスを分析した結果、ウランの含有が判明する。(1912年オックスフォード大学ギュンター教授の論文に掲載。1948年及び1960年代にも分析されている)
    その後19世紀まで、工芸品として作られたガラスにウランガラスが発見されていない事から、偶然作られたものと考えられる。

    *画像はイメージです。
    2012.9.21 画像差替

  • 1789

    ドイツの科学者クラブロートにより、ウランの化合物の分離、発見される。
    その年にクラブロートは、ガラスの原料物質と「ウラン黄」と呼ばれるウラン化合物との具体的な混合組成比をいくつか挙げて、茶色や透明なエメラルドの緑色などの、様々な色のガラスの製造が可能と論文で指摘している。
    ただし、この処方は実際に使用されることがなかった。その原因を「ウランガラス」の著者である苫米地さんは著書の中で、当時の技術ではガラスの原料に不純物が含まれていたため、当時の一般的なガラス工房では作ることができなかったのではないかと推測している。

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  • 1828

    ボヘミアのフランツ・リーデルが、ガラス工房を建設した。
    彼は、ウランの化合物でガラスを着色する技術の発明、製法の確立に重要な役割を果たした人物である。
    彼は、自分の作ったウランガラスに自分の2人の娘の名前から、黄色のものに「アンナの黄色」という意味の「アンナゲルフ」と、緑色のものに「エレオノラの緑」という意味の「エネオレラグリュン」と名付けた。
    現在、ヨーロッパのドイツ語圏では、緑色のものは「エネオレラグリュン」ではなく「アンナグリュン」と呼ばれている。 これは、アンナがのちの「イゼル山のガラス王」と呼ばれたヨゼフ・リーぜルと結婚したのに対し、エネオレラはプラハのビールの製造業の経営者と結婚したためと言われている。

    *2012.9.24 画像差替

  • 1831

    ボヘミアのハラッハ伯爵ガラス工房で、骨灰を混合したアラバスターガラスで緑玉髄に似たガラスを作り、プラハで新製品として展示した。
    その後、現在ポーランド領になっているシュレージェン地方にあるヨセフィーネンガラス工房でも作られた。

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  • 1834

    ミューラーによって、クラブロートのことと関連して、ガラスの製造に対するウラン化合物の利用についての論文が発表される。
    それには、エメラルド色の蛍石に似たガラスを作るのにウラン炭酸塩が用いられることなどが述べられている。
    翌年に書かれたイギリスの論文でも、ガラスの着色に対するウランの利用が述べられている。

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  • 1836

    南ボヘミアにあるアドルフガラス工房で、ヨハン・マイヤーによって、特徴的な黄色と緑色のウランガラスが作られた。
    製造されたウランガラスは、フランス風の装飾のあるプレスガラスだった。

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  • 1837

    イギリスで、鉛ガラスにウラン塩を加えて着色したガラスで燭台が作られ、アデレート女王に献上されたという記録が残っている。
    19世紀、ウランガラスの製造はフランス、英国、イタリア、さらに米国へと急速に広がり、装身具や日用品などが大量に作られウランガラス全盛の時代になる。
    ドイツでは、1897年の一年間に、ウランガラスで真珠の模造品などの装身具や工芸品が991トン生産されたことが記録に残されている。
    19世紀中には、酸化ウランの量にして総計150トン以上がウランガラスの製造の為に消費されたと推測され、ウランガラスにして15,000トン以上が生産されたものと考えられる。

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  • 1840

    フランスのロレーヌ地方の工房で、天然のウラングリマーを添加した特徴的な黄色のウランガラスを製造した。
    1840年6月~8月にかけて、ボヘミアの森にあったゴールドブルンガラス工房で、ウランガラスが製造され、「カメレオン」及び「ゴールドクリスタル」という呼び名で発売されたと言われる。

    現在、年代の分かっている一番古いウランガラス(銀のふたの付いた食卓用ミルクピッチャー)はこの年に製造された。
    このミルクピッチャーは、「ウランガラス」の著者である苫米地さんのHPの展示館のコーナーで写真を、岡山にある妖精の森ガラス美術館で実物を見ることができる。

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  • 1867

    ヨーゼフ・リーデルが、イゼル山に新式の窯を建設する。
    彼は、ボヘミアのガラス製造を近代化した人物である。
    初期のウランガラスは、原料が十分に純粋でなかったり、それまで使用されていた木材を直接燃焼する方式のガラス溶解用の窯では、どうしても出来上がる製品はツヤがなかったり汚い色になっていた。
    ヨゼフは、新式の木材ガス化方式の蓄熱式ガラス溶解窯を導入することなどによって、この問題を解決した。
    彼により、ウランガラスは工業的に大量に生産され、販売された。彼はその業績により、1890年にオーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝より鉄十字章が授与される。

    *2012.9.24 画像差替

  • 1885

    アメリカで、パーミーズガラスの製法がシャーレ―によって特許となる。ボストンで最初に作られ、大変人気を博したガラスになる。
    このガラスは、半透明な特徴的な色調を持つアラバスターガラスで、酸化ウランと金を加えて作られる黄色がかったピンク色のガラスである。 ピンクの色の濃さは加える金の量によって変わる。
    「パーミーズガラス」という名前は、その色をビルマの夕日に似せて作ろうとしたところから名付けられたと言われている。

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  • 1899

    日本の岩城硝子、島田硝子などで、ウランガラスの信号灯レンズ、食器、ガラス工芸品が製造される。 大正から昭和にかけて国産のウランガラスの製造が広まる。
    残念なことに、ウラン化合物を単なる着色料の一種としてしか認識されていなかった為、メーカーも流通業者も社史やカタログにウランの使用は一切記載されていない。

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  • 1920

    大正9年、日本で「カナリア電球」という名前で、ウランガラスを使用した特殊な電球が発売された。
    ガラスバルブが黄緑色(カナリア色)で、紫外線や青色光を吸収することなどから、眼精疲労を減らすことが実験的に確かめられ、目によい電球として発売された。
    東芝ライテック株式会社には、100V・60W、高さ約10cm、幅約5.5cmのウランガラス電球が保存されている。
    現存する最後の一つと言われているこの貴重なウランガラス電球の写真は、ウランガラス同好会HP「世界で1個ウランガラス電球」のページで見る事ができる。

    *画像はイメージです。

  • 1930

    ウランガラス製のゴールデングローライトと言われる機関車の前照灯が大阪の小糸製作所で製造され広く使用された。
    現在、京都梅小路の博物館に展示されている昭和天皇のお召列車にも使用された。ただし、現在展示されているお召し列車に装着されている前照灯は、ウランガラスを使用したものではない。
    お召列車の写真や交通博物館に所有されているゴールデングローライトの写真は、ウランガラス同好会HP「機関車・自動車のヘッドライトにウランガラス」のページで見る事ができる。

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  • 1997

    純国産のウランガラスの製造に成功する。
    1995(昭和30)年に岡山県人形峠にて、日本で初めてウラン鉱床が発見される。当初、核燃料として期待されたが、探査と採掘の結果不適格となる。採掘中止されるまでに採掘されたウランは、ほとんど核燃料として使用されたが、数10kgは人形峠に残され、この残量の有効利用として地域振興を兼ねたウランガラスを製造することになった。
    当初、何回実験を繰り返してもできたガラスは、黒濁したり白濁のものだったりし、きれいなウランガラスができるまで大変な苦労があった。

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  • 2006

    ウランガラスの美術館、『妖精の森ガラス美術館』が開館された。
    1階は常設展示室、ガラス体験もできる工房、工房で作成されたウランガラスが購入できるアートショップ等があり、2階は企画展示室がある。
    常設展示室には、現在年代のわかってる最古のウランガラスなどの貴重な苫米地コレクションの一部が展示されている。
    2011年3~9月の特別企画「エピソードでたどるウランガラスの世界展」にて、ビーズ作品の展示・販売をさせていただきました。

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参考資料

ウランガラス同好会HP:http://uranglass.gooside.com/
ウランガラス同好会・会長
苫米地顯HP:http://www1.parkcity.ne.jp/ken-toma/2.0.html

Wikipedia『ウランガラス』
岩波ブックセンター「ウランガラス」苫米地顕・著
北辰堂「骨董ファン Vo.14」
里文出版「日本のウランガラス」 大森 潤之助・著
RIDEL社HP:http://www.riedel.com/

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